雛人形にまつわる面白い雑学たち

女の子の健康を願う節句の祭りもといひな祭り、その主役である雛人形は元々平安時代の貴族の子女たちの玩具でした。

紙の人形を用いて遊ぶ「ひいな遊び」と呼ばれていたもので、紫式部の「源氏物語」でも若紫がこの遊びに興じている場面があるほど当時は流行になっています。

現代に当てはめるなら、リカちゃん人形やバービー人形といったところです。

強いて「ひいな遊び」にしかない特徴を挙げるならそれは小さな御所を模した「屋形」と呼ばれる紙の建物で、そこに人形を飾ったとされています。

飾り人形に分類される雛人形の発端とも言える始まりですが、あくまで遊びでしかないです。

ひな祭りの役割である厄除けは「ひいな遊び」ではなく、もう1つの雛人形が関わっています。

それは「流し雛」と呼ばれる儀式です。

平安時代に渡来した中国の文化の影響を受けた民間行事で、災厄を招く穢れを専用の人形に託して川へと流す事で厄除けをします。

この行事も「源氏物語」に描かれており、両者が似ていたせいか、江戸時代にこの2つの人形の意味が1つとなって今日のひな祭りとして受け継がれているわけです。

正しくは「ひいな遊び」と節句の儀式が結びつき、全国的に広がって定着したと考えられています。

実際に、中部地方ではひな祭りを本来の意味合いである「子供の厄除け」として捉えている地方があり、そこでは男の子と女の子がそれぞれ生まれると男雛と女雛をそれぞれ送って飾る模様です。

そんなひな人形は江戸時代でようやく様になったわけですが、その姿形は平安装束となっています。

正確には宮中の殿上人を模しているのが基本です。

こうなった経緯の詳細は不透明な部分があるものの、元々は女の子のための人形であったので女の子が一度は夢見る嫁入り、特に「天皇と皇后さまのような素晴らしい結婚ができますように」という願いが引き継がれていくうちに嫁入りが真似られたと考えられています。

当初は1体だったもの、夫婦となる男女2体となり、次第に囃子人形や官女といった添え人形にミニチュアな調度品が飾られるようになって現代のゴージャスな形になったわけです。

時代とともに変化していった雛人形は実のところ、地域や当時の考え方が反映されています。

例えば関東地方では駕籠が飾られますが、関西地方で飾られる乗り物は牛車です。

その理由は単純で、関西地方は武家社会が色濃く、反対に関西地方は宮中の影響下だったからに尽きます。

飾り方や人形の形も異なっている部分はあるものの、現代ではメーカー独自が考案して追加した人形たちの印象が強いです。

例を挙げるなら七人雅楽で、能のお囃子を奏でる5人の楽人もとい元服前の少年たちである五人囃子に弦楽器を持った人形が2体追加されています。

追加する楽器は和琴と箏、そして琵琶の3種類のうち2つからです。

どれも能というよりも雅楽に親しい楽器であるため、目出度い雰囲気が盛り上がります。

余談ですが、皇后の身の回りの世話をする三人官女は3人ではなく、5人や7人だった場合もあったそうです。

呼び名はそれぞれで五人官女、七人官女と呼ばれていました。

他にも挙げるなら「三歌人」と呼ばれる柿本人麻呂、小野小町と菅原道真、同じく「三賢女」と親しまれている紫式部に清少納言、そして小野小町の3体がセットになっていたり、目出度いモチーフである鶴と亀を模した装束を身にまとって舞う2体の少年もとい「能の鶴亀」だったりなどです。

主流ではないものの、こうして人形が新たに増えた事に時代を感じずにはいられません。

時代と言えば元々、男雛は左側に配置されていました。

宮中において「左」は上位を意味しており、実際に左大臣は天皇の懐刀と言える存在です。

それが変化したきっかけは明治時代の文明開化で、西洋化を率先していた国の上層部はもちろん、その動きは当時の天皇である大正天皇も同様でした。

即位式で外国の習わしに沿って左ではなく、右側に立った事にならって内裏雛の位置も右になっていったわけです。

西洋化の勢いは凄まじく、様々な神社仏閣が不遇にされた廃仏毀釈は日本史に登場しているものの、同じく昔からある雛人形はその弾圧を受けていません。

それはひとえに明治時代とはいえ、「家を守る役割は女性が担うべき」という考えが根深かったからです。

先述したように武家社会の代表格である江戸時代に生まれた人形には、当時の考え方が反映されています。

簡単にまとめてしまうと「良妻賢母であれ」という理想の女性像は明治時代から昭和時代にまで伝わり、それは現代でも知られている「人形を仕舞い忘れると嫁に行けなくなる」という迷信が誕生したほどです。

幼い頃から人形を片付けないほどだらしない女性になってしまうのは頂けない、その考えから「嫁に行けなくなる」と脅して片づけをうながしました。

現在も女性が働きやすい環境には遠いものの、結婚しない女性へのバッシングが強かった時代を考慮すれば笑える話ではないです。